山本一成 / Issei Yamamoto

属性
CEO
名人を倒した将棋プログラムの作者
愛知学院大学特任教授
情熱大陸出演
山本一成、1985年生まれ。愛知県出身。東京大学での留年をきっかけにプログラミングを勉強し始める。その後10年間コンピュータ将棋プログラムPonanzaを開発、佐藤名人(当時)を倒す。東京大学大学院卒業後、HEROZ株式会社に入社、その後リードエンジニアとして上場まで助力した。海外を含む多数の講演を実施。情熱大陸出演。現在、愛知学院大学特任教授も兼任。

Ponanzaの勝利と後悔

ーー山本さんといえばPonanzaの将棋システムで名人を倒したことで有名です。情熱大陸にも出られており、時の人というのが私の中での認識となっています。当時のことについて教えてください。

大学留年時代にとある勘違いをしてしまった

愛知県で育ち、大学受験で東京大学に入りました。当時「DEATH NOTE」という漫画が流行っており、東京大学に行けば漫画の登場人物のような面白い人に会えると思っていたのです。ですが、もちろんあんなにすごい人なかなかいないわけですよ。そこでがっくりしてどうでもない日々を過ごしていました。
朝は渋谷のゲーセン、昼は将棋部、夜は麻雀の繰り返し。東京大学では2年間教養、その後2年間で専門をやるのですが、大学2年生と3年生の間で留年をします。その時に、さすがにまずいと思って自分の人生を真剣に考えました。
 
当時から戦略的に考えて自分の強みを発揮することや、勝ち筋を考えるのが好きだったんです。ムーアの法則をたまたま知っており、今後コンピューターサイエンスが来るだろうと思い、当時はあまり人気がなかった電気電子情報という学部に入ります。(補足をしておくと今は電気電子情報学部はかなり人気です。)
そこで、パソコンやプログラミングの分野の理解を深めていく中で自身の好きな将棋のプログラムを作ろうと思ったのです。作るのであれば名人に勝つくらいのプログラムを作ろうと決めました。当時、プログラミングにおいて右も左もわからなかった私にとって、この挑戦は規格外のものでした。でも、「自分なら将棋の名人に勝つプログラムを書けるかもしれない」と勘違いをしてしまったわけなんです。今思えばそれが素敵な勘違いだったというわけですが。

技術的な課題に挑戦すること

ーーゼロからの将棋プログラム開発。どんな紆余曲折があったのですか?
私は将棋に詳しかったので、将棋のルールについてのチェックをする必要がなかったのですが、それをプログラムに書き起こしていくのはすごく難しかったですね。今の時代のように体系だった本や記事があったわけではないので、独学で開発を進めていきました。情報が少ない中でいろんな挑戦をしていったことを覚えています。

機械学習との出会いと名人への勝利

開発当初のPonanzaはとても弱かったです。私のアマチュア五段の力とコンピューターの能力(1秒間に1億個くらいの加減乗除計算と数字記憶ができる)を合わせれば強いプログラムができると仮定して開発を進めたのですが、できたプログラムが非常に弱かった。通常なら心が折れる瞬間ですが、強くする方法をひたすら考えていく中でプログラムが楽しくなっていきました。
 
プログラムで将棋の強さを表現しようとしても、将棋の指し手の強さを表現する「手厚い」「味がいい」「軽い」といった言葉をプログラムに起こすのは非常に大変でした。そこで強さ・良さを説明できない中で私が選択したアプローチが機械学習だったのです。機械学習では、コンピューターが自分自身で知識を獲得していきます。コンピューターに学習方法を教え、人間では物理的に指せないほどの試合数をこなしてもらいました。理論上は1試合数分で学習ができるので、まさにデータの暴力ですね。これによって将棋プログラムが強くなっていったのです。
 

一つのシーンの終わりを大きなストーリーに昇華できなかった後悔

ーーそんな背景があったのですね。2017年5月に棋界最高位のひとつ「名人位」をもつ佐藤天彦名人に初めて勝利し、メディアにも多く取り上げられ話題にもなりました。そこから引退されるのが早かった印象です。なぜですか?
名人に勝利してからHEROZが上場するなどいろんないいことがありました。一方でAlpha Goが囲碁の名人に勝利するのを見た時に自分がしたことの小ささを知ることになるんです。
将棋プログラムが「強化学習できる」ということは当時自明ではなかったのです。ですが、Ponanzaによってそれが可能なことがわかりました。これが、Ponanzaが将棋プログラムの世界をリードできた理由のひとつです。一方でPonanzaを通して私一人が良くも悪くも目立ちすぎました。「あるエンジニアが将棋の名人に勝つプログラムを作った」という話以上のストーリーを作れなかったのです。
 
例えばGoogleのDeepMindは方針を立て、お金を集め、情報学の偉大の勝利として世界にその素晴らしさを証明しました。深層学習のあるべき姿を描き、極めて能力が高いエンジニアを集め、世界的AIブームを呼び起こすきっかけを作った。
一方、私はそこまで大きなストーリーを築くことや、社会にとってよい影響を生み出すことはできなかった。そこに大きな後悔があるんです。だからこそ、次はもっと大きな挑戦をし、社会や後世にとっていい影響を生み出していくことを決めました。

次の挑戦で決めたことと青木さんと誓ったこと

ーーPonanzaの裏でそんな葛藤があったのですね。そこからTuring創業まで数年経っています。どんな経緯で創業にいたったのでしょうか?

なぜもう一度挑戦をするのか

私はPonanzaの名人勝利、HEROZの上場を経て一度引退をしました。周りからは引退するのは早いのではないかと言われたのですが、私の中ではそうではなかったのです。人生の早いタイミングでちょっとした成果をあげてしまったがゆえに、今後の人生でそれを超える大きな成果をあげられないのではないかという恐怖がありました。ここで終わりたくないという思いがあったのです。残りの人生、30代・40代を今と同じように過ごすことは嫌だった。何か大きな挑戦をしたかった。

青木さんだったからTuringが生まれた

では、そんな決断をしたからすぐにTuringが生まれたかというとそれは違います。SaaSサービスやTech系サービスなどさまざまな打ち手を考えましたが、どれも自分の中でしっくりこなかったのです。社会にとっていいことをしたいと思っているのに、どこか小さくまとまってしまっている自分がいました。
 
そこから、一度思考の枠を取り払い、大きな市場で大きな挑戦をしようと決めました。自動車、建設、不動産、保険など日本で上から市場規模の大きな場所から順に調べ、挑戦する先を考えていた中で、出会ったのが青木さんでした。青木さんはカーネギーメロン大学で自動運転領域において確かな成果と実績を豊富に持たれている方です。彼は大学教員になる、アメリカのビッグテックで働くという選択肢もあった中から、起業することを決めて帰国しており、自身の挑戦の場を探していました。
当時彼のいる名古屋大学に通い、さまざまな起業アイデアを話しては潰していたのを覚えています。自動運転の要素技術を開発する道も考えていましたが、青木さんに「自動車」を作ろうと提案をしました。
なぜ共同創業者が青木さんだったのか、その理由は社会正義を果たす。これからの社会にとってよい挑戦をしていく、という志に惹かれたからです。この人となら大きな絵を描き一緒に社会を変えていけるのではないかと感じました。産業を創り上げるという志を持った方は稀有であり、そのマインドを持っていたことが非常に大きな理由でした。

「できない」という合理的な理由がなかった

車業界を選んだ理由をよく質問をされますが、シンプルに「できないという合理的な理由がない」からです。アメリカや中国では自動車業界からスタートアップでは生まれており、テスラやNIOなどを筆頭にイノベーションが起きています。彼らにできて私たちにできない理由はるのでしょうか?答えは本質的にはNOでです。もちろん「難しそう」という感情的な否定はありました。ですが、感情的な理由以外にNOがないのであれば、それはGOすべきことだなと判断しました。

少しだけ幸せになるくらいの挑戦はしない

自動車業界において、今最も高い時価総額を誇るのはTeslaです。TeslaはEVというゲームチェンジの波に乗り、大きくなっていきました。GM、フォードが築いていた業界を変え、新しい時代を作っています。せっかく挑戦するのであれば、Teslaを超える企業を生み出そう。それくらい大きなチャレンジをしようと決め、「We Overtake Tesla」というミッションを決め、Turingという会社を創りました。
Turingを創業して1つ決めたことがあります。それは少しだけ幸せになるくらいの挑戦はしないということです。私も青木も言葉を濁さず言えばエリートです。エリートが挑戦せずに、自身の幸せだけを追う社会は寂しいじゃないですか。だからこそ、気概を持ってこのマーケットや社会課題に向き合おうと決めています。上場してメンバーが資産を築いて幸せになったというレベルの成功ではなく、産業や人々の暮らしを大きく変えるイノベーションを起こすレベルの成功を目指しているんです。そういう思いに共感する人たちと一緒に働きたいですね。

最後に:一緒にWe overtake Teslaの夢を叶えませんか?

Turingでは完全自動運転EVを開発し、製造するというチャレンジをしています。工学最高峰のプロダクトと言われるクルマを作るにはハードウェア、ソフトウェアを問わず多くの才能が必要です。興味を持った方はぜひ弊社求人から応募してください。もちろん山本のTwitterに気軽にDMを送っていただいても大丈夫です。事業の進捗やTuringの課題についてお伝えさせていただきます。