吉野暁大/Akihisa Yoshino

属性
エンジニア
完成車メーカー出身
Vehicle Engineer
学生フォーミュラ、SUBARU、日産を経てTuringにジョイン。完成車づくりではなく、完成車メーカーづくりができる人材になることを志したことがTuring参画のキッカケ。実家がヴァイオリン教室をしており、海外でヴァイオリン演奏経験もある。
 

車に魅せられ、車づくりの世界へと進んでいった

ーー吉野さんはTuringに一人目の完成車メーカー出身エンジニアとしてジョインされています。吉野さんから自動車への強い愛を日々感じているのですが、そもそも自動車を好きになり、その道へと進むまではどのような流れだったのでしょうか?

技術で世の中が変わる偉大さに痺れた

 
物心がついた時から車に限らずごちゃごちゃとした機械が好きでした。車に本格的にのめり込んでいったのは、高校時代にイニシャルDを読んだことがキッカケです。車が動く機構や仕組みを理解していくのが楽しく、技術雑誌などもよく読んでいました。物心がついた時にはバックトゥー・ザ・フューチャーのデロリアンが好きで、中高生以降はRX-7とBMW M3に惚れていましたね。あぁいうカッコいい車を作りたいという思いが今も心に残っています。
 
モーターファンやCar Graphicを読み込んでいく中で、マツダ社が2006年に世界初の水素ロータリーエンジン車をリース販売するなど、技術革新で今までの常識を変えていく様子を見ていました。多くの人が触れる車というフィールドで、世界を驚かす技術開発を行う人たちに憧れをいだいていたのです。その憧れから自動車エンジニアを目指すようになり、大学生では学生フォーミュラでの開発に挑戦することになります。

技術の前に、人やチームの大切さを学ぶ

学生フォーミュラ時代は、吸排気の設計とエンジンセッティングを担当し42Psから78psへの出力アップを果たしました。この間吸気系のCFD導入や汎用ECUでのセッティングの向上に取り組みすぎて留年したのはいい思い出です。
 
全国で優勝することを考え、貪欲に技術を追求していましたが、ある日今のままではダメだと気づくことになります。集まるメンバーには、学生フォーミュラでの活動を前提に入学してくる人は少ないです。そんな中で技術力を追求しても限界があります。そこで私が大切にしたのは、チームの力を高めることです。全国で優勝を目指すという目的の共有、相互理解による心理的安全面の担保、コミュニケーションの量と質を高める設計などを緻密に行いました。それらの活動が功を奏し、2017年には全国で2位を獲得します。開発において「人」とその連携が重要であることを学べたことは今の自分の礎となっています。

ヴァイオリニストになるか、自動車エンジニアになるかという選択

大学生時代に力を入れていたのは、実は学生フォーミュラだけではありません。家がヴァイオリン教室なこともあり、小さい頃からヴァイオリンを続けていました。海外での有名ホールでの演奏を通じて観客が感動して泣く姿を見るなど、人の心を動かすことが好きでヴァイオリニストの道に進むのもいいなと思っていたんです。
 
一方で、長い人生を考えた時にどれだけ多くの人の心を動かせるのか、自分の影響力の総和を増やせる選択肢はなんだろうかと自問した結果、自動車エンジニアへの道を目指すことにしました。

自動車エンジニアになったから見えたこと

ーーそんな経緯があって、吉野さんは自動車エンジニアになったのですね。そこからSUBARU、日産で経験を積まれていますが、OEM(完成車メーカー)にいた中でどんなことを感じたのでしょうか?

SUBARUで経験した先行開発と技術開発の手触り感

新卒で入社したSUBARUではエンジンの先行開発部署に配属。CAEと実験を駆使し、エンジンの主運動系部品のフリクション低減の取り組みました。パラメータースタディを行い、さまざまな要因を抽出・分析する日々は楽しかったです。フリクションの新たな設計要件やベンチマーク指標を組み込み、より精度の高い開発を行っていきました。自身の試行錯誤が世の中にいい影響を与えている手触り感は非常に心地よかったです。
一方で、車の価値を作っていくという文脈では、自身の関与する範囲に物足りなさを感じていました。ここでいう価値とは、車とドライバーの対話が心地よくなっていくことで生まれるものを意味しています。ドライバーは手と足で車に語りかけ、その応答を五感で感じ取ることで対話をしているというのが私の考えです。アクセルを踏むのが気持ちよくなるような加速ができると、景色の流れ方で視覚に、音で聴覚に、加速度の特性で触覚や三半規管に訴えることができます。
 
 
端的に言えば乗り心地という言葉になりますが、そういった要素を作り込んでいきたいと思った時に、車の一部分に関わるのではなく、広く全体に関わりたいという熱が同時に高まっていったのです。

パワーユニット全体の開発に携わるべく日産へ

上記の背景から、エンジンのフリクションだけ見ていても直接的にお客様に価値を提供できないのではないかという葛藤があり、パワーユニット全体を見ながら駆動力の制御を工夫し、車両の挙動で価値を造り込みたいと考えるようになりました。そのうえで転職や社内異動を検討し、数ある選択肢の中から日産のe-POWERの統括部署へ転職を決意したのです。
 
燃費と動力の性能計画も部署の業務に入っていたので転職を決意しましたが、転職後2カ月でその機能は別の部署に組み込まれ、開発のプロジェクトマネジメントとして業務に従事することになります。強電バッテリーの機能安全、0-100kph加速、登坂耐熱、実験スケジュール調整、実験車の配車調整、先行開発中の制御システムの量産への導入など本当に幅広くさまざまな業務を通して広く深く電動車のことを学びました。

技術者への道とマネジメントへの道への分岐点で

技術職とマネジメント職は大きく異なり、技術的な検討だけでなくQCT達成のための社内折衝や企画検討など幅広く多くの業務を経験しました。初めての経験に刺激を感じるものの、技術に携わりたいという自分の思いを押し殺すのは辛かったです。技術を深く理解したうえでマネジメントをしたいという私の思いと、大企業の一定の専門性を突き詰めるキャリアステップは相性が悪く、自分の思い描くキャリアをうまく歩めないジレンマを強く感じていました。

クルマの全てに触れ開発できる人材を目指して

ーーそんな葛藤を感じていたのですね。キャリアにおいて多くの選択肢があった中で、なぜ吉野さんはスタートアップでの挑戦という道を選んだのでしょうか?
 
さまざまな選択肢を考える中で、自身の思い描くキャリアを歩むのが難しい理由は大きく2つのポイントがあると思います。
  • 車全体を理解している人材の少なさ
  • 競争力のある車を造り切る難しさ
車の各部品には高い専門性が求められ、各部品ごとに最適化された開発プロセスやあり方が必要です。一方で車は数万部品で構成されています。専門性が高まっていると、個々のパーツののあるべき論は言えますが、全体を俯瞰して車両としてのあるべき論を考えるのは至難の業です。車づくりの抽象と具体を柔軟に行き来したうえで開発に向き合える人材になるのは構造上難しいなと感じました。
 
そこに付随して、目の前の技術開発に没頭するあまり、車全体としてのユーザーへの本質的な価値提供という視点がなくなってしまう可能性があることに危機感を持ちました。米中を筆頭に多くの自動車スタートアップが生まれている中で競争力のある車づくりをスピーディーに行っていく未来を当時は描ききれなかったのです。

ある日Twitterで山本一成さんからDMがくる

そんなある日、TwitterのSpaceでTuring CEOの山本一成さんの話を聞くことになります。その流れで本人から「一度話しませんか?」と一通のDMが届き、2日後に当時私が住んでいた家の近くのジョナサンで話すことになったのです。
 
正直はじめは、「スタートアップが完成車メーカーになるなんて」という思いもありました。ですが、一成さんのビジョンを聞く中で「この人なら何かを実現しそうだな」という言葉にならない思いを感じたのです。
 
私が驚いたのは完全自動運転EVをつくるという点ではなく、令和初の完成車メーカーになると決意している点です。車作りは改造車と量産車の間には、事業採算性や工場・サプライチェーンの構築という観点で大きな隔たりがあります。それらを理解した上でOEM企業になると決意している点には驚きました。また、ソフトウェア・自動運転の第一人者によって生まれる会社というストーリーに今までのOEM企業にはないコンテキストを感じたことも事実です。話を重ねる中で、Turingのスケールの大きさに魅せられ、一人目の自動車エンジニアとして入社を決意していました。

クルマづくりが事業づくりとリンクする感覚

ーーそんな経緯があったのですね。一人目の自動車エンジニアとして入社して、いろんな方針決めや意思決定をされていますが、具体的にどんなことをされているのですが?
Turingでは、1台の改造車の開発・製造後に100台の生産、その後に1万台の量産を行っていきます。入社後の私のミッションは、上記における戦略や企画の設計から販売・アフターサービス体制の構築までです。1万台の量産化を見据えて、どんな開発能力を組織として獲得していくかを社内リソース、人材採用、サプライチェーン、事業採算性の観点から日々考えています。
 
直近の100台の生産においては、組立車、EVコンバート、フルスクラッチでの開発の選択肢があるのですが、それらを考える中で大変なのは情報が少ないことです。当然ですが「完成車メーカーの作り方」という本は世の中にはなく、ゼロから考えて作っていく難しさを感じています。スタートアップで限られたリソースを使っていくことに加えて、顧客獲得を含めた事業拡張性や実現可能性を考慮して戦略を練ることも大変です。

車メーカーづくりに挑戦する日々

100台の生産・販売において企画から開発・販売までを黒字で行うのは難しいです。また、われわれは改造車販売の会社ではなく、量産車メーカーを目指しています。それらを鑑みた時に、
  • 車の要件を決めて評価する開発の経験を積むこと
  • 車の法規・物理への理解
  • サプライヤーを獲得していくこと
  • 組織や拠点づくりを進めていくこと
を最低限クリアにしていきながら次の1万台へと事業を進めなければいけません。2025年までに100台の生産を行いながら、次の1万台量産の解像度もあげないといけないため、目標や期限から逆算しながら日々企画・開発を進めています。

Turingだから作れる未来

ーー最後に、吉野さんが考えるTuringの未来や今ワクワクしていることについて教えてください。
2025年には100台の車を販売します。企画をゼロから考え、ストーリーを描いた車が世に出ていくのが楽しみです。一般的には、0から企画した車が市場に出るまでは7~8年の期間を要します。それをTuringでは3年でやろうとしているのですが、先人たちが積み上げてきノウハウを使い、新しいものを世に出していくのはいちビジネスパーソン・開発者としてやりがいを感じます。

優秀なエンジニアたちと世界を変えていく

上記に加え、Turingで一緒に働く方の優秀さに日々驚いています。AIやソフトウェアにおいて日本トップクラスの人材が集まっており、開発スピードが非常に速いです。例えば、走行データのログデータ回収一つをとっても違いがあります。
 
完成車メーカーでは走行後に計測器のコンパクトフラッシュを抜いてPCに繋ぎ、共有フォルダにアップロードするので、データ回収には数時間から1日程度かかります。一方でTuringではクラウドを活用して、セキュアかつリアルタイムにデータをアップロードしグラフ化できる仕組みを実装しており、課題の発見から対処方法の確認まで非常にスピーディに行えます。
 
コンピューターサイエンスを徹底的に理解したエンジニアが、完成車メーカーで進めている業務をリアルタイムで効率的なものにアップデートしているのです。車づくりがDXされていくのを間近で見ており、日々驚いています。

Turingに入ったから見えてきたこと

AIは人を理解していくことで進化していっていると思います。そのため、完全自動運転EVとは、究極的には、人に寄り添う車なのではないかというのが私の考えです。ドライバーに合わせた移動体験が構築されることで、運転や移動という体験が違う次元でアップデートされていくと思います。AIやソフトウェアの進化を背中に感じながら、彼らと一緒に次の時代の乗り心地を作っていくのが非常に楽しいです。

最後に

Turingでは人類にとってのグランドチャレンジである完全自動運転EVの開発・製造をしていきます。工学最高峰のプロダクトと言われるクルマを作るにはソフトウェア、ハードウェア問わず多くの才能が必要です。少しでも面白いと思った方や興味を持った方はぜひ弊社の求人や「スカウトを待つ」から応募してください。私のTwitter DMへのご連絡でも大丈夫です。事業の進捗やTuringの課題についてお伝えさせていただきます。

Turingからのスカウトを待つ

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